吐息は凍る、されど空気は暖かく



「整列! 礼!」
「「ありがとうございました!」」

 道場にりんとした声が響くと同時に、ゾロは入り口に向かって駆け出していた。いつもなら、これから自主連をしたりしているゾロのそんな姿は周りにとってはもの珍しかったが、当のゾロはそんなことを気に掛ける余裕もない。何やかやと話しかける友人たちに目も向けず、さっと着替えを終わらせると道場を飛び出した。
 11月11日、時刻はもう夜の7時を過ぎ去っている。
 今日は、ゾロの誕生日であり、サンジとゾロが秘めた思いを打ち明けあった日。二人にとってかけがえのない大事な記念日に、サンジは「泊まりに来い」と2週間も前からゾロに言い続けていた。

『だってさ、俺らが付き合い始めた日だし、何よりゾロの誕生日だろ? そんな日ぐらい一緒にいてえじゃん?』

 そういうサンジは真剣そのもので、ゾロは思わず噴き出しかけた。

『何だよ! いーじゃねえか、笑うなよなぁ……』

 そのセリフに、また自分は何か誤解を与えてしまったか、と慌てたが、サンジの顔はそれでも笑っていた。
 どうも言葉が足らないらしい自分は、一年前とそう変われるわけもなく相変わらずだ。けれど、あの時と違うのは。
 自分の発した一言一言、それがサンジを傷付けやしなかっただろうかと、気に掛けるようになった事だ。
 だって、サンジはこんなに自分を見ていてくれる。気にしてくれている。
 それはどれだけの時が経っても泣きだしそうな程幸福なことだと、ゾロはそう思う。サンジがいつか心変わりするんじゃないかとか、そういうのが心配だからではない。ただ、この世界の中でサンジと出会い、気持ちを通わせることができたこと。それがゾロには、まるで奇跡のように感じられるのだ。
 自分の誕生日なんて今更祝うような歳ではないが、サンジが嬉しそうに笑うから。
 それになかなか持てない二人きりの時間を一晩中過ごせるのは、ゾロだって嬉しいから。
 部活後のけだるい疲れも気にならず、ゾロはサンジの働いているレストランへと急いだ。

 一方、ゾロを待つ身のサンジは、バイトを時間丁度で終わらせるべく必死に皿洗いをしていた。
 まだ学生であり、夜しか出られないこともあってか、厨房の中でのサンジの位置はいつまで経っても最下位のままだ。
 それでも、今夜のことを思えば、キンと冷えた水道水も全く苦にはならなくて。
 一瞬だけ頬を緩めると、サンジは泡だらけの皿たちを丁寧かつ素早く濯いでいった。


 はあ、と吐いた息が白い。ゾロがレストランの前に着いた時、店は既に灯も落とされ、ぼんやりとそのシルエットを浮かび上がらせるだけだった。
 ろくに拭いもせずにいた汗がすうっと冷えて、背筋がびくりとなる。袖からのぞく腕を自分の手で擦って、未だ姿の見えないサンジに小さく悪態を吐いた。
「さみ……。遅えじゃねえか、クソ眉毛……っ」
「誰がクソ眉毛だって?」
 その手をきゅっと背後から握られて、ゾロは一瞬固まってしまった。振り向こうともがくと、首筋の辺りに背丈の同じ金髪の頭が見えた。
「随分だよなー、お仕事頑張ってきた恋人にさ」
 お帰りのちゅーとかは、ないわけ?
 耳元で囁かれたセリフに赤面する。実を言えば、サンジとゾロはキスさえ数えるほどしかしていないのだ。
 それは男同士ゆえの葛藤などもなくはないが、何よりタイミングが悪いのだ、サンジもゾロも。
 いい雰囲気になったかと思えば、それぞれの両親や友人たちに遮られてしまう。
 だから正直ゾロは、サンジと身体をくっ付けあうだけでも、どきどきと鼓動を速めていた。
「……ァ、ホ。こ、んなとこでそんなっ……っ」
「ここじゃなきゃいいの?」
 くすくすと、微笑を含んだ声は甘くゾロの耳朶を擽る。更に墓穴を掘ってしまったゾロは赤面しすぎて声も出ず、ただパクパクと幾度か唇を動かしただけだ。可愛らしい仕種だとサンジは笑って、ゾロの身体に回した腕を解くとその手をギュ、と握り直した。
 そのまま、腕を引いて歩き出す。ゾロは何も言わなかったけれど、繋がれた手に力が入ったのが分かった。
 ぽつぽつとある街頭だけの暗い夜道、そこを二人で手をつないで静かに進む。
 照れるなんてもんじゃない、恥ずかしくて死んじゃいそうだ。サンジはそう思って少し笑って、けれどもすぐに勿体無いなと思い直した。
 こんなに可愛い恋人を置いて、死んで良い訳がない。
 遠い星の光は冷たい空気を貫いて、柔らかにサンジとゾロの頭上に降り注いだ。


「そうだ、ゾロ。今日、何食いたい?」
 歩き始めてしばらく経って、不意にサンジが口を開いた。
「まださ、うちの近所のスーパーがギリギリ空いてる時間だから。ゾロの好きなもん作って、それでお祝いしようぜ?」
 言いながらゾロを横目に見る。寒さに鼻の頭を赤くしたゾロが、くっと首を傾げて少し立ち止まって、
「…………なべ。」
 その言い方が何だか妙に子供っぽくて、可愛いなあとサンジはまた思う。最初は格好良い『男』の部分に惹かれたと思ったのに、付き合い始めてからはゾロが可愛らしく見えて仕方がない。それも今日は、特別に。
「ふふ、了解。じゃあ酒は日本酒な、クソジジイんちからいいの持ってきてるからそれ飲もうぜ」
「おう。」
 に、と唇を歪めてつき合わせるのは共犯者の笑み。ゾロほどではないけれど、サンジも酒はいけるほうだ。
 まして肴は大好きな恋人。もしかして、なんて色々考えるところもあるわけだけど。
 今はとにかく、最愛の人が生まれ降りたこの幸福に感謝しよう。

「ゾロ、ハッピーバースデイv」
 一渉り買い物をして閉店間近のスーパーの前、と言う何とも色気の無い場所で、サンジは今日初めてその言葉を口にした。
「ここで言うか?」
「何度でも言うの。」
 学校のみんなと一緒に言うのとは違う、ラブラブな俺らだけの空間で。
 二人きりなら、シチュエーションなんか関係ないだろ?
「今夜は何回だって言ってやるから、覚悟しとけよ!」
 言葉と共に送られた掠めるようなキスに、ゾロは幸せな笑みを零した。


Happy Birthday,Roronoa Zoro!