季節を無視したグランドラインの風が、ぱたぱたと耳障りにジョリー・ロジャーをはためかせた。

 次に着くのは多分冬島、でも明日は私の誕生日。





コルドン・ルージュ





「お休み、サンジくん。」

「あァ、お休みなさいナミさん。」

 結局、最後の一人になるまで粘ってキッチンを出た。途端に、ぶわっと強めの風が吹いて、階段の上で一寸よろける。

 今夜の不寝番、誰だったかしら。

 くるりと思いを廻らせて出た答えはあまり望ましくなくて、私はきゅっと眉を寄せる。

 この風では、放って置いたら進路は正反対を向いていることだろう。

 自分の向いている方角も分からない男に任せておくのは危険すぎる。

 航海士だからね、と自分の胸に呟きつつ、滅多に昇らない見張り台へ足を掛ける。

 ひょこりと顔を覗かせると、ゾロは珍しく100パーセント虚を衝かれた無防備な顔になった。

「……んだよ、珍しいな。」

 小さく呟かれた言葉とは裏腹に、そこまで嫌がっている様子は見えない。

「あんた、ちゃんとログポース見てるかなって。」

 素直に用件を告げたのに、ゾロは一寸だけ不機嫌そうになってしまった。

 内心慌てて、言い募る。

「今日は風が強いでしょ、少し目を放したって進路変わっちゃうわ。」

 するとすぐに愁眉を開く。そうして、「それで、どうしろってんだ。」と、これまた珍しい大人しめの返答。

 それに答える前に、すとんと見張り台に降り立って、ゾロの包まっている毛布にもぐりこむ。

「オイ……?」

 些か困った、と言う風に、ゾロが声を掛けてくる。

 どうせ、サンジくんが来るんでしょ? 知ってるわ、それに今は意地悪したい気分じゃないの。

 ただ。

「寒かっただけ。」

 そう言えば優しいゾロはますます困って、でももうすり寄っても何も言わない。

 ぬくぬくとその腕に甘んじる私は、確かにいつもと少し、違っているんだろう。

「なぁ。」

 暫くの沈黙を着いたのは、ゾロの無表情な声。

 どちらかと言えば無口な彼が、会話の口火を切るなんて。

 今夜は本当に、珍しい事ずくめだ。

「なぁに?」

 問えば、ぽり、と頬を掻いて、

「今、これ、どうなってんだ?」

 視線の先には、――ログポース。

 一瞬ひやりとしたけれど、幸いずれは見られなくて、知らず詰めていた息をそろりと吐き出した。

「アンタ、今までそんなことも知らないで見張りやってたの?」

 思わず口調がきつくなって、さっきまでの空気が気に入っていた私はああやってしまったと言ってから後悔した。けれどゾロはそんな私を気

にするでもなく、

「いいじゃねぇか。問題、なかったんだろ?」

 柔らかく呟いて、ニカリと微笑った。

 そうしてまた、二人して静かに海を見つめる。



 私が、望んだように。



 そこへ、カツリと聞き慣れた音。ふわりと漂うのは、嗅ぎ慣れた匂い。

「……どうされましたか?お姫様。」

 聞き慣れた、彼にしか似合わないであろう、大げさな賛辞。

「夜が遅いと、お肌に響きますよ……?」

 なかなか鋭いところを衝いてくる。流石はラヴコック、乙女心が分かってるじゃない。

 でも、ごめんね。今日は何だか、ロビンの暖かさじゃ足りないみたい。

「うん……。」

 未だかつて、こんな曖昧な返事はしたことがないかもしれない。いつも完璧な女を着こなす一流航海士としては。

 それでもやっぱり、彼は女性に優しいから。

 私の望んでいることが、ちゃんと分かっているようだった。

 狭い見張り台の上、するりと器用に毛布に包まって座り込んだ。

 私の右には、穏やかに微笑ってるサンジくん。左には、何だか呆れ顔のゾロ。

 やっと、私の望んだ空間が出来た。

「明日は、オレンジをたっぷり入れたケーキを焼くからね。」

「このクソ寒ぃのに、あすこから蜜柑なんて取れんのか?」

「ウルセェなクソ剣豪、この時期が一番甘味が集まるんじゃねぇか。」

「へェ、そりゃ知らなかった。」

 何故だか、笑ってしまった。あまりにも思い描いた通りで。あまりにも、幸せを感じて。

「明日、ゴールデンマルガリータってカクテルが飲みたいわ。」

 言うと二人して目を丸くした。そんな些細なことまで、仲の宜しいことで。

 また楽しくなって、笑顔で告げる。

「まさかテキーラ全部なんて飲んでないでしょ?ゾロ。」

「それはコックに聞いてくれ。」

 何だかまた呆れたような、声音。でも私は知ってるから。それこそが、ゾロの優しさのカモフラージュなんだって。

「まだあったと思うけどね。……あんな大人のカクテル、どこで知ったのさ?」

 そう、それは海賊が飲むにはあまりにも不似合い。けれど、あの人にはそれが良く似合ったから。

「秘密よ。」

 だって女は秘密が多いほうが魅力的って言うじゃない?

 やっぱり優しい二人はそれ以上立ち入ることもせず、三人でのんびりと空を仰いだ。

 何だかいつもより、星を近くに感じた。

「そろそろ寝るわ。明日の主役が睡眠不足で可愛くないなんて最悪だもの。」

 立ち上がると、右隣のサンジくんが支えてくれた。

「お気をつけて、レディ。風の強い甲板で倒れたりしないでね?」

 にっこりと片目を瞑って、でも、ここを離れはしないのね。

 そういう無意識の行動に、二人の仲良しさが伺えるなんて、本人たちは知らないに違いない。

 私もにこりと笑って返す。

「私を誰だと思ってるのかしら? サンジくん。」

 一瞬目を瞠って、くすりと僅かに微笑んで。

 全く、女の子に詳しいのも考えもんだわ。

 ゾロはと言えば、サンジくんが持ってきたお酒を、壜から直接呷ってる。

 この後、聞き耳立ててたら何て言うかしら。

 今日は考えるだけにしといてあげるけど。

 下に下りてから、満面の笑みで見張り台を見上げて、

「二人とも、大好き。」

 そんなに大きい声ではなく、どちらかと言えば囁くように。

 さあもう本当に寝ようと、くるりと踵を返すと。

「俺らも愛してるよ、ナミさん。」

 そんなに大きくない、でもしっかりとした声が届く。

 振り向けば二人とも、こっちを見つめて手を振って。「おやすみ。」なんて、素敵な言葉もゾロから貰った。

 思いがけないフライング気味のプレゼントに、来たときよりも軽くなった足取りで女部屋に向かう。

 明日も快晴。贅沢な私の誕生日は、最高のクルーたちに祝われる。

 夜にはオレンジ風味のカクテルで、また二人に祝ってもらおう。

 そうしてこっそり、心の中だけで呟くのだ。

 ――ベルメールさん。私、とうとうこれが飲めるようになったよ。

 記憶の向こうで、彼女がにっこり笑った気配がした。



End.









 ゴールデンマルガリータ

 テキーラ(エラドゥーラ シルバー)40ml+グランマルニエ コルドンルージュ20ml+レモンジュース10ml

 シェイクして塩でスノースタイルにしたカクテルグラスに注ぐ。