そして、それから数週間後。
「し〜ま〜だ〜あ!!!」
 船首の船長が目を輝かせて叫ぶ中、船が付いたのは長閑な春島。
 それぞれ、久し振りの上陸で買いたいものもあるのだろう。一様に明るい顔をしている。
「明日のお昼に出港。ただし、今回は夕飯でもう一回サンジくんのお誕生日祝いするから、日暮れごろには一旦船の前に集まってね。」
 ナミの一言をきっかけに、各自散り散りに町へと駆けていった。
「おい。」
 汗一つ掻かずに錨を降ろしたゾロのもとへ、サンジが煙草をくゆらせながらのんびりと歩み寄った。
 ここから見えるのは大きく左に逸れた町への小道だけで、一面が柔らかそうな野草に覆われて、島はまるでそれ自体が午睡に揺らいでいるようで。ゾロは久しぶりに船を抜け出して、目の前の広やかなベッドに頭を預ける想像に、人知れず胸を膨らませていた。
「……何だよ。」
 そんな訳で、もう既に春色の霞がかかった視界に眩しくけぶる蜂蜜色のシルエットを掬い上げるように軽く睨んで、ゾロはいかにも不機嫌そうに返した。
 サンジはふう、と一つ煙を吐き出して、
「迷子ちゃんが出掛けるならお供するぜぇ? 何たって、今日は珍しくナミさんの奢りでディナーだからな。遅れちゃクソ勿体ねぇ。」
 その言葉に、ゾロは更にむうっと眉を顰めて。
「出掛けねぇよ。どうせ用事も、欲しいモンもないしな。」
 そうして背を向けたゾロを追いかけるように、サンジがのんびりと言った。
「俺は船番だから、出掛けるんなら一声かけてけよ、ゾロ。」
「出掛けねぇっつってんだろ!!」
 はいはい、と答えた声が笑みを含んでいて、からかわれたと気づいたゾロは、足音も高く見張り台へと昇っていった。
 九割九分、昼寝だろう。
 サンジは自分の計画が上手くいったことに顔を緩めると、ちらりと見張り台へ視線を流してから、急ぎ足で船を下りて、何処かへと走っていった。
 不貞腐れて早々に眠り込んだ剣豪は、そんなことには全く気付かずに、ぽかぽかの陽光の中で眠り込んでいた。



 ふ、と頭上に影が差して、ゾロはぼんやりと瞳を開けた。午前中から狭い見張り台で眠りっぱなしだったためか、凭せ掛けた首やら下敷きになった右腕やらが痺れている。そろそろと動かすとギチギチと音がしそうで、ゾロは寝惚け眼のまま「痛てっ」と小さく叫んだ。
「あっ……。」
 その拍子にずれた頭から滑り落ちた何かと、残念そうなサンジの声。ゾロはゆるゆると首を動かして、影の正体を見据えた。
「……はよ。」
「んだ、これ。」
 ははははっと誤魔化すように笑うサンジをあっさり無視して、ゾロはさっきほどではないが、やはり眉根を寄せて尋ねる。
「別に、変なモンじゃないぜ? ……ほら。」
 差し出された右手に握られていたのは、
 ――――小さな花々がたわわに連なった、ふわりと黄色い一本の枝。
 見れば、ゾロの体の回りにも、それと同じ枝が幾本も散らされて、微かに甘い香りを立ち昇らせている。
「何だ、これ……?」
「あー……、知らなくていいよ。これ、俺が育った地方のちょっとした風習だから。」
 さらりと前髪を掻きあげたサンジは、何故か少し赤い顔をしていて。どうせろくでもないことだろ、と勝手に決め込んで、ゾロは再びやってきた眠りの波に、素直に身を任せた。
 後に残され、サンジは一人呟く。
「くだらねぇ、かもな……。結構有名なはずなんだけど。」


 早春の日、綺麗にミモザが咲いたなら。
 愛する貴方に、その一枝を送りましょう――――

 それは、春が来るのが少しだけ遅い、その地方ならではの慣わしで。
 3月8日に、愛する恋人に男性がミモザを一枝贈ると、二人は永遠に結ばれるという、ロマンティックな言い伝え。
 今夜はカクテル"ミモザ"を作って、女性二人に語ってあげよう。
 オレンジ味のそのカクテルも、地方独特のその風習も、二人はきっと、喜んでくれるはずだから。
 そしてその後、最愛の人と共に長い夜を過ごすのだ。

(それこそ、最高の誕生日プレゼントだよな。)
 そう思って瞳を細めると、サンジは遠くから手を振る腹ペコ船長のおやつを作りに、ゆっくりと見張り台を降りていった。
 島から吹く柔らかな風に、かもめが穏やかに孤を描いた。






<End.>