夜風が昼間の暖かさを残して、温くゾロの短髪を揺らした。
それでも先程までいた宴会の場に火照った頬は心地良く冷やされたが、ゾロはそれを意に介しもせず困ったような目で暗い空を見回した。
小脇に抱えた自分よりちいさな体が、んん、と呻いて僅かに身じろぐ。
「も、っとぉ……。サンジくぅん、次のビンはぁ……?」
「馬鹿、もう終いだ。ほら歩けって。」
くたくたと寄り掛かってくるナミに呆れたような台詞を告げながらも、それとは裏腹にその腕を取って半ば担ぎ上げるように首に回させ、ゾロは女部屋へとゆっくり歩き出した。
「……ゾロ?」
耳元で、アルコール交じりの声がそっと囁く。やっと周りが見えだしたかと、聞こえないようにゾロはそっと溜息を零した。
「ねえ、あたしお姫様抱っこがいい。」
「あん?」
唐突にナミが口を開いた。もう後は、女部屋への梯子を上がるだけである。
その体を下ろそうとしていたゾロは、言われた言葉に絶句して固まった。
「いいじゃない、あたしもうあるけないわ。」
ねえ? と、わざとらしく小首を傾げる仕草は、普段であれば一体何を企んでいるのかと頭を抱えてしまうようなもので。
けれどその瞳が何の衒いも含んではいなかったから、ゾロは一瞬の逡巡の後に大袈裟な溜息をついた。
すらりと細い足の膝裏に手を回す。
「しっかり掴まっとけよ。」
愛想もなく一言掛けて、背に回した側の手を梯子に掛ける。
部屋へ着くまでのほんの数分、ナミはずっと楽しげに笑っていた。
「ただいま。」
「おう、お疲れ。」
バタン、と乱暴にドアを閉めて椅子に腰掛けると、ゾロはぐるぐると肩を回した。
ここを出るまでは混沌と化していたテーブルの上が、今は綺麗に片付いている。部屋の灯りは小さなランプが一つきり、薄暗いけれども何とも居心地が良い。
「あー、何かすっげ疲れた……。」
ふう、と息を吐くと同時に、白い手がコトリとカクテルグラスを置いた。
緩やかな波に揺れる船体と共に、薄い山吹色の液体が静かに水面をたゆたわせている。
「何だ?」
振り仰いでシンクに凭れ掛かるサンジを見やる。小窓を開けて紫煙を燻らす、その表情は月明かりの逆光となって判然としない。
「何だと思う?」
まあ飲めよ、と言ってまた一つ、吐息のように呼気を吐き出す。素直にその言葉に従って、ゾロは一気にグラスの中身を空けた。
「あーあー……。」
苦笑交じりの声は無視して、ゾロはふむ、とグラスを眺めた。
「旨い。」
言えば、そうだろ、と満足気に頷いて、サンジは短くなった吸い止しを濡れたシンクで押し消し、そのまま三角コーナーに放り込んだ。
「けど甘ぇ。」
「ははっ、」
当たり前だろが、と笑いながら、ゾロの目の前の席に腰を下ろす。やっと見えた瞳はしかし、ほんの一瞬月光を綺麗に反射しただけだった。
「それな、Digestif Cocktailっての。ま、お前用に度数は高いのにしたから勘弁しろよ?」
それで、と言葉を繋ぐ。そのディ何たらってのは何だ、と聞こうとして、ゾロは口を噤んだ。
「それ、何て名前でしょう?」
「……あ?」
思わず、聞き返した。サンジはただ、にやにやと口元を笑ませている。
「俺が知るか。」
「んー、じゃあヒントな。」
ふ、と、前髪が唯一見える右目を覆い隠した。同時にフッと、月が群雲に隠された。
「俺は今、何を考えているでしょーか?」
「はあ?」
ますます分からねえ、と腕を組んで考え込むゾロに向かって身を乗り出して、鼻先がつくほどに顔を寄せて。
「さあ、何でしょう?」
「お前……飲んでんのか。」
サンジに答えることはせず、ゾロは眉を顰めた。間近で吐かれる呼気は先程のナミに負けず劣らず酒気臭く、常ならば己の限界を知っているはずの男が何故そこまでになったのか。原因は考えるまでもない、大方愛しい航海士に乗せられたのだろう。
「んー、はい、時間切れ。」
無理に身を捩って時計を眺めていた頭が振り返って、にこやかな唇がゾロの言葉を塞ぐ。反論を紡ごうと僅かに開かれたそこへ、やすやすとぬめる熱が割り入ってくる。
「……ッ、ん……。」
いつもはゾロより低いはずの体温の持ち主が、今は引き寄せられた掌まで熱い。歯列をなぞるそれから逃れようと身を捩ると、笑う気配がしてスッと体が離れる。
「……?」
こんな場面で、今更遠慮をする男でもない。いぶかしんで見上げるゾロに、サンジは薄い笑みを浮かべた。
「ナミさんの抱き心地はどうだった?」
――ああ、そうか。
隠されていた月の、白い光が再び差し込んで。ゾロはやっと、この自分を弁えた筈の料理人がこうまで酔った、その理由を知った。
その綺麗な瞳はずっと、浮かべた表情を裏切って、笑ってなどいなかったのだ、と。ナミを抱えたゾロの姿を見て、揺れる焔のような嫉妬を、その目は語っていたのだと。光に曝され、その双眸は今や何よりも如実にサンジの心情を伝えていた。
我知らず笑っていたのだろうか、サンジが忌々しげに舌打ちした。
「……ま、別に構わねえけど、」
「構わねえんだ?」
もう形勢は逆転している。ゾロは余裕すらをも携えて、金の頭を己の胸に引き寄せた。
「ぅお……っ、な、ゾロ……?!」
「馬鹿だろ、お前。」
サンジの視界を閉ざしておいて、ゾロは楽しげに言葉を継いだ。
「アイツがいつまでもいたら、こんな事できねえだろう?」
折角早く潰してやったのに、と。
言われてすぐには理解することが出来ず、サンジはもがいていた四肢を止めて瞬きを繰り返した。
「あ、え、えっと……?」
「だから、」
戸惑うサンジにはお構いなしに、ゾロは続けた。
「回りくどいことしてねえで、とっとと”シーツに包ま”ろうぜ?」
ゾロの腕の中で、合わせた胸からサンジの心音が伝わってくる。けれどそれはすぐにゾロ自身のそれと融け合って、どちらのものか分からなくなった。
「……どこ行く?」
「ここでよくねえ?」
囁くように確認したら、あとはシーツの波に溺れるのを待つばかりだ。
月だけが、全てを白々と照らしていた。
End.
Happy Birthday To Nami !!