冬休み最終日の今日、ルフィは恋人であるサンジの家で、……山積みの課題に追われていた。勿論、サンジも巻き込んで。
「うおぉ〜わっかんねぇぞ、サンジィ〜!」
「ふざっけんな!あんだけ遊んでたから今こんなんなってんだ。テメェの所為だろ!」
 ルフィも珍しくきりきりしているが、サンジだってまさか、『恋人』に宿題を手伝わされる羽目になるとは(当然だが)思ってもいなかったのである。明日からルフィは学校、自分は仕事で、暫くゆっくり逢えないとなれば、今日は一日のんびり過ごすのだと。期待して、当然ではないか。
 ……まぁ、何事も普通にこなすことを知らないこの男のことだ。一般的な恋愛のマナーやルールが通用しないのは知ってはいたが。
 そう考えると、残るのは諦めの溜め息だけで。簡単なのに量だけはある問題集を少しでも早く片付けてやろうと、黙ってペンを走らせた。



 そのうちに、ルフィが今度は「腹減った」と騒ぎはじめた。時計を見ると、もうすぐ12時。かれこれ2時間も費やしたのだと知って、サンジは立ち上がった。
「……んぁ?」
 もはや呼び掛ける気力もない、と言った風なルフィにサンジは苦笑する。わざとらしく大袈裟な溜め息を吐いて、涙目で見上げてくるルフィに、勿体ぶって告げてやる。
「何か作ってやっから、出来るまで待ってろ。」
 途端に、「ひゃっほう!」だの「さすがサンジー!」だの、都合のいい事を言っている恋人に背を向けて、サンジはキッチンに入った。



 冷蔵庫に、年末年始の余りのあんこと賞味期限の近い餅があったので、水で溶いて沸かしてお汁粉にした。
 サンジは、幼い頃海外から日本に引っ越してきて以来、和菓子、とりわけあんこが大好きだった。
 西洋の取り澄ましたお菓子も美味しいが、和菓子には、あの煌びやかさの代わりに、どこかほっとするような暖かい甘味がある。初めてこの味を知ったときの感動は忘れられない。特に、祖父が作るあんこを使ったお菓子の数々は絶品だった。
 本人は気付いていないが、サンジが和菓子やその材料を使って調理しているとき、その顔はいつもとても幸せそうに微笑んでいるのだ。それは、たくさんの甘く優しい記憶が、彼の心を暖かく包み込んでいるからに他ならない。



 暫くして、サンジがお汁粉のお椀を持ってリビングに戻ると、ルフィは匂いにつられて多少は進めたのが見て取れた。
「やりゃあ出来んじゃねぇか。やっぱお前、自分家で集中したほうが良いんじゃねぇ?」
 冷ましもせずに口をつけて、「火傷した!」と大騒ぎしている恋人に、サンジはいつもの顔を装いつつ声を掛けた。
 まぁ、全く逢えない訳じゃないしな、と内心ココロに言い聞かせつつ。
 むしろ、これで補習にでもなって、僅かな平日の逢瀬を奪われるほうが、サンジとしては辛いな、とも思うのだ。

 ところがルフィはガバッと音がしそうなほどに慌ててサンジに向き直り、縋るような目つきになった。
「お前、やっぱ嫌か?」
「……何が?」
 何時ものことだが、ルフィの科白には主語とか目的語とか、大切な物まで欠けている。まぁ今の場合は流石のサンジにも何となく想像がついたが。
 ルフィは焦れたような、怒ったような、哀しいような、……苦しそうな声に変わった。
「正月早々、そういうこと言うなよ。サンジ、俺がここに来るの嫌か?」
 …………想像、出来ていなかった。
 そうだ、コイツはずっと俺との年の差に苛付いて、必死で埋めようと。全力で、気に掛けていたじゃないか。
 コイツの目の前でこういう話題はご法度なんだ、何で気づかなかった。
 サンジは腹の底から氷が纏わりつくように感じた。その冷気に、カタカタとちいさく肩が震えた。
 ルフィには行方の知れない兄がいる。知っていた、本当はその兄貴の方に心の大半は占められていて。だから、年上との別れが苦手なのだ。
 俺はルフィだけ、好きなんだけど。
 だからさぁ、柄にもなくヤローの世話まで甲斐甲斐しく焼いてんだけど。
 いくらやったって、コイツには伝わんねぇのかなぁ……?

「…………グッ、ぅ、」
「……サンジ?」
「だ、まれ……って、っ……。」
 喉の奥から、湧き上がるものは噛み殺し。目の縁には、決して崩れまいとする意志で力を入れる。
 馬鹿野郎、馬鹿野郎、バカヤロウ、バカ……。
 俺のが年上だからって。まだ学生なんだからって。
 逢えなくて、寂しいに決まってんだろクソ野郎。俺がどんだけ不安か、知らないんだろう、お前は。
 付き合いだして初めての長期休暇で、ほとんど毎日、たまに泊り込んでまで触れ合った。宿題が気になったのだって確かだ、けどそれを頭の片隅に追いやっちまうほどに、俺はお前との時間を邪魔されたくなくて。
 それが最後に、こんな風に過ぎていくなんて。明日になったらまたずっと、ルフィの欠けた日常が帰ってくるのに。
 無意識に甘えるルフィは、それでもどこかに兄を求めて。これだけの時間一緒に過ごしても、未だに覚えてくれない価値観の差異は、たくさんある。
 俺はむしろ、ますます増えていく意識のズレを忘れまいと、必死に足掻いているのに。
 冬休みの前のサンジなら、気にもならなかったことだ。けれどこの冬、知らなかったルフィのカオはどんどんと積み重なって。最後に、お汁粉の甘味につんとしたアクセントを効かせて終わるのかな。
 ここ数日、そんなことを茫洋と考えて寝不足気味の思考回路は、ずるずると暗い淵に足を取られて、いつの間にか、先刻の決心までも崩壊させて。
 もう、自分の気持ちを拾いきれない。
 鼻の脇を伝う水滴はもうルフィにも見えているはずなので、涙声も気にせずサンジは言った。
「きょ、は一旦、帰れ、ル……。」
 すっ。と、目の前にルフィが移動していた。顎を掴まれて、俯いていた顔を強引に引っ張り上げられる。
「サンジ。」
 先程の不安そうな表情は消えていて、真剣な黒耀で視界が一杯だ。
「お前ェが、何見てるか知らねぇけど。」

「俺は、お前のこと、大好きなんだぞ。愛してるんだぞ。」
 言ったよな。何度も、何度も。
「だからもっと、こっち向いてろよっ……。」
 最後はもう、洟声で。ぽろぽろと、珠のような涙の粒が転がり落ちて、性急に合わさった唇はお互いつめたくて、しょっぱかった。でも、
確かに、甘味も感じた。
「それ、俺の科白だばぁか。」
 涙は止まらなくても、意味するところは大きく違って。キスから伝わる感情のほうが、自分たちよりよっぽど素直だ。
「課題終わんなくても、俺んとこ来い。毎日電話で声聞かせろ。週末は、俺の店仕舞い待ってろ。」
 言いたかった、言えなかったわがまま。今はするすると流れ出てきた。束縛したくないなんてきっと嘘だ。大好きだから傍に居たいんだ。
 何だって、口に出してやる。
 ルフィは負けじと、煌めく笑顔で大声を出した。
「よし、じゃあアレしよう!」
「ヒメハジメ、やろう!サンジ!」
「な゛……。」
 途端に染まったサンジの頬は、その言葉だけでなく、一番好きなルフィのその表情の所為。
「隣の家に聞こえるだろつ!!」
「俺は構わねぇ。」
「俺が構うんだよっ!」




  掛け違えたボタンは、もう一度最初から掛け直せば良い。
  今はまだ、お互いを抱くその腕を外すことが出来ないでいる俺たちだけど。



 さぁ、キスからもう一度。



<Fin.>