船が着港したのは、グランドラインでも有数の、商人達の町だった。
「よぉクソ剣士、まだ起きねぇの?」
朝(常人にとっては真昼だ)起きると、コック以外のクルーたちは姿を消していて。
そのサンジも、出掛ける準備は万端整った、という出で立ち。
ゾロは一つ、くぁ、と大きく欠伸して、眠気でしょぼしょぼする目を瞬かせながらサンジを見た。
「あれ……もう、島に着いたのか……?」
「着いたのは朝飯のすぐ後。今はとっくに昼だよ。」
呆れたと言わんばかりに空を仰ぐ。むっとしたゾロが言い返そうとすると、
「あ、だから、買出し一緒行くか?」
言われた言葉に、些細な苛立ちはすぐ消えて。
「船は?」
この男が、そんな所を抜かる筈は無いのだけれど。
思わず確認したゾロに、サンジはにやりと笑って告げた。
「ここは海岸線が入り組んでてな。ちゃーんと見付かんねぇように隠してあるよ。」
それを聞いて、僅か緩んだ頬に。
サンジはキスを一つ落とすと、ひらりと船を飛び降りた。
「ほら、ゾロ、早く来いよ!置いてくぞ!!」
ゾロは赤くなった頬をするりと一撫でしてから、愛刀を引っつかんで腰に下げ、慌ててサンジを追いかけた。
広く大きなメインストリートは人と店と物でごっちゃに埋め尽くされていた。
その、うねる波のような人混みの中を、サンジは器用にひょいひょいとすり抜けて先へ進んでしまう。ふわふわと揺れる金髪は、ともすれば大波に呑まれて沈んでしまいそうな木の葉のようで。ゾロは見失わないようにと、出来うる限り足を速めた。
こんな中でさえ、世界一を自負するコックは食材チェックを怠らない。へらへらと渡り歩いているように見えてその実、目だけは真剣で。傍らのゾロは気圧された。
自分が刀を構えて敵と対峙する、その時と同じ類のものだ。
改めて感じたそれは甘く厳しく、ゾロの背中をぞくりとさせた。
けれどもそれは、孤独ゆえの強さでもあって。
サンジの頭の中に今、自分が欠片も存在していないという慣れない感覚に、ゾロはいらいらと親指の爪を噛んだ。
いつもならサンジがすっ飛んで来て、「やめなさい!」とか叱っているところだ。
そのコックは今度は、新鮮で美味そうな野菜を並べる屋台のような構えの店の前で、店主との値切り交渉にかかるところだった。
「なぁ、オッサン!このトマトを4箱、それからパセリが10把、ジャガイモ6箱で、幾らぐらいだ?」
「そうさな……今年はトマトがちっと少ねぇからな、8千でどうだい?」
いや、もうちょっと……と、サンジが値切り始めようとしたその時。
「……おい。」
後ろから、少しだけ遠慮がちに(そう聞こえたのはサンジだからかも知れない)声が掛かる。
「俺、向こうで待ってっから。」
「…………へ?」
ぱっ、と振り向いた時には、既に紛れてしまいそうな緑髪。
「って、ぉい!ゾロ!!」
あの方向音痴が、『向こうで』といって街中で待っているわけがない。かといって大声を出せば、藪蛇に海軍を集めてしまうかもしれない。
サンジは仕方なく相手の言い値で急いで会計を済ませると、荷物を抱えて人波に飛び込んだ。
「あれ?」
なるべく中心街から離れたくて、ゾロは勘を頼りに歩いてきたのだが。
いみじくもコックが推測したように、ここは町の喧騒など想像するべくもない森の入り口。
いっそこのまま船に戻りたかったが、どうやらそれも望めない。
「……はぁ。」
参ったな。
声に出すと、頭の中で非現実的問題意識だったものが塊になって、ゾロの胸を押し潰しそうだった。
「参ったのはこっちだよ。」
お前ねぇ、もうちょっと自覚しなさいって言ってるだろ。
憮然としたような、少し低めの声が掛かる。振り向くとサンジは髪を振り乱し、上着が右肩からずり落ちそうになっている。それが彼にとってどれほど許しがたい状況か察しがついて、ゾロは吃驚して目を丸くした。
「サンジ……買い物は?」
「お前の所為で値切れなかったよ!あれでお終いだったのに。」
それになぁ……。サンジははぁあと深呼吸をして、上がった息を整えると、更に言葉を続けた。
「あの通りのちょっと脇に入ったとこにあったレストラン、あれ寄ってこうと思ってたんだぜ!」
あ、そうか昼飯。
道理で腹も減るはずだと、ゾロは納得した。
空に目を向ければ陽はもう落ちかけで、今からじゃ街に戻る時間は無さそうだ。
サンジに目を戻すと、手櫛で髪を直しつつ、まだ真っ赤な顔で怒っている。
「折角、人が急いで買い物済ませようとしてりゃーお前ってば……。」
ぶつぶつと呟いているけれど、これは。
「いいよ。俺、お前の飯のほうが良い。」
唐突に言うと、サンジは惚けたようにゾロを見た。口がだらしなくぽかんと開いている。
「な、何、珍しいこと言っちゃってんの、お前。」
あんまりなその態度に、ゾロも恥ずかしくなってきてしまう。
「ほら、船戻んぞ!!」
そう言って、サンジの荷物を軽がる片手で抱えると、もう片方の手で手首を掴んで大股に歩き出した。
引き摺られるように歩きながらその顔を仰ぐと、その頬は出がけと同じくらい真っ赤で。けして、夕日の所為ばかりじゃない。
サンジはにやけた顔面を見られないようにと、ゾロの半歩後ろをキープした。
ぎゅっと掴まれたままのそこは、熱いくらいに熱を持っていた。
その後、迷った二人が船に戻れたのは、日付も変わろうかという頃だった。
「迷子の癖に人のこと引っ張ってってんじゃねーよ!」
「じゃあお前なんで前歩かなかったんだよ!」
「夜中に五月蝿い!!」
ごん。
「……腹減った。」
「分かってるよ。ちょい待ってろ。」
((折角のデートだったのに……。))
口に出せない想いは、それでも同じ。
<fin.>