沈黙は鼓膜を刺すようで、ゾロはぽり、と無意識に耳の裏を指で掻いた。
 向かい合って座る子供は思いっきりぶすくれた顔で、二人の間のテーブルを睨んでいる。
 その上には、山積みにされたチョコレート。中には勿論、チョコ以外だって入っているのだろう。
 例えば、愛を綴ったメッセージカード、とか。
 いい加減、重い空気に耐えかねて、とうとうゾロは声を掛けた。

「……オイ、もう、いいだろ別に。面と向かって渡されたんじゃねーんだし。」

 すると、上目遣いに黙って自分を睨み上げていた蒼い瞳に、ふいにゆらゆらと水膜が張った。

「――――サ、」
「っ、もーいい!!」

 ガタン!と立ち上がって、そのまま自分のランドセルを拾って出て行こうとする小さな体を、ゾロは咄嗟に腕の中に抱き込んだ。

「離せよっ!!」
「なァ、顔上げろよ……サンジ。」

 耳元で囁くと、ぴくっ、と肩を跳ねさせて。何とか抵抗は収まったものの、顔は頑なに伏せられたままだ。ゾロは内心で溜息を吐いて、グイ、とサンジの顎を掴んで引き上げた。

「――ッ!!」
「やっぱし。」

 その頬は、とっくに冷たく濡れていて。ゾロは筋張った無骨な指を、そっとその跡に這わせた。

「…………やめろよ。」
「……。」
「離せって。」
「……。」
「おい、ゾ」
「悪かったよ。」

 目の前の、涙の残る瞳が見開かれる。思い切ってレロ、と涙の筋道を舌で辿ると、サンジはぎゅっと目を瞑ってしがみついてきた。
 しばらくそうして、猫がグルーミングでもするようにただぺろぺろと顔中舐めていた。サンジはたまにぴくっと小さく身じろぐだけで、いつものお喋りはどこかへ置いてきたようだ。いつのまにか沈黙は静けさに姿を変えて、二人をまったりと包み込んだ。
 粗方涙はなくなった(代わりに別のもので濡れてしまったが)ところでサンジがほう、と大きく息を吐いた。眦が微かに紅い。そのまま、ぺとっと脱力してゾロに引っ付く。

「ばかぞろ、おこれなくなったじゃん、あほまりも。」

 ゾロは黙ったままだ。涙は舌を刺すように塩辛くて、まだ舌がぴり、と引き攣っている、気がする。口の端から唾液が零れそうだったので軽く拭った。

「俺、くれるって人のみんな断ったのに。」
「……ごめん。」
「あのなぁ、チョコもらったら、相手の『好き』をオッケーしたことになるんだぞ。」
「聞いたことねえぞ。」
「だって、そうなんだよ!」
「誰に聞いたんだ?」

 サンジが下唇を噛んでちょっと黙った。

「おれだって、そうだもん。」


「一生懸命作ったもんならさ、気持ち込めてて当たり前だろ。だから、それをもらったらやっぱそういうことなんじゃねえのかな。」


「……そもそも、『好き』をオッケーするってのぁなんなんだ。手渡されたんじゃねぇって言ってんだろ。」

 サンジは溜息を吐いた。ゾロと、面と向かってチョコを渡すなんて、大抵の女の子には難しいに違いないのに。意識せずとも鋭い眼光は、長い付き合いのほんの幾人か以外には理解されてない筈だろうし。
 まぁ、だからこそ、なかなか彼女も出来ないで、自分みたいな子供にも付き合ってくれるんだろうなぁ、とも思うけれど。


 その後は結局、軽くお茶を濁して終わってしまい。暫くして、そろそろ帰るか、とサンジが腰を浮かすと、ゾロが何か言いたげに見上げてきた。

「……何?」

 軽く首を傾げて見やると、ゾロは珍しくも何だかもごもごと口篭っている。
 さっきの事を突っこまれても、サンジの語彙力ではあれ以上、表現のしようがないのだけれど。と、内心ちょっと困った。
 しかし、漸く口を開いたゾロは、

「……お前、くれねぇの?」
「…………へ??」
「……ッ……んでもねぇ!!」

 ぽかんと、見上げた彼は真っ赤な顔で。これが自分より6歳も年上なのかと思ったら、思わず吹き出してしまった。

「くっ……あはは!ね、ゾロってばもしかしてずっと期待してた?」
「……悪ぃかよ。」

 見下ろす視線は、きっと剣道のときのそれのように鋭い(サンジは対峙したことはないが)。でも、目尻は赤く染まっているし、第一、その奥に潜む感情は決して敵意などではない。
 先刻の自分の醜態は顔から火が出るほどに恥ずかしかったけれど、それは他では晒すことのない本音であったのだし。
 今こうして、彼もまた素を見せてくれているのだと思うと、それはもう体中から湧き上がるようにとんでもなく嬉しい。

「ねぇ、ゾロ。ちょっとホラ、膝屈めてくれない?」

 俺このまんまじゃ届かねぇ、言えばまだ、一見不機嫌そうな顔をサンジの目線に合わせてくれて。
 サンジはやっと間近で見られた翡翠の瞳ににっこりと笑いかけると、おもむろにカバンから小さな包みを取り出した。

「これからは、もう他の人からもらうなよ。」

 言外に、まだ怒ってるんだぞと匂わせつつ。ちょっと気まずそうに視線を逸らしたゾロに、ちゅっ、と軽く口付けて。

「じゃ、またなっ!!」

 滅多にしない行為に赤らむ頬を隠しつつ、サンジはバタバタとゾロの家を飛び出した。


 そして。一人残されたゾロは、サンジお手製のチョコレート以外には、決して手をつけなかったのだった。





<End.>