まだ、雪は降らない

「ロロノア君、起きなさい。」
 耳元で囁かれて、ゾロは思わず飛び上がった。振り向くと、サンジがにやにやと笑いながらすぐ脇にいる。
 思わず顔に血が昇って、近くにいたナミに笑われたゾロは、ちっと舌打ちをしてもう一度、ドスンと勢いをつけて椅子に座った。
 それをふてくされたと思ったのだろう。サンジは嬉しそうに話しかけてきた。
「なァ、そんなに似てた?俺の口真似。俺直接は知らないもんなー、あのオヤジ。」
 ゾロとサンジは同じクラスだが、人数が多すぎるために2つに分けられることがある。前の時間はサンジたちが移動で、ゾロは生徒から『催眠光線を発してる』ともっぱら噂の化学教師の授業に、いつにも増して気持ち良く眠りこけていたのだ。
「いっくらなんでも、授業終わりの挨拶くらい立てよなー。ま、お前の場合成績良いからいいのか。」
 そう、こう見えてゾロはクラスはおろか、学年でもトップ。進学校のこの高校の中でもちょっと一目置かれている、そんなやつなのだ。
「……うるせえよ。」
 ゾロはゆるりと睨み上げて、あくび混じりにたった一言。が、毎度のことで慣れたサンジは気にもとめない。
 そこでゾロは漸く、はたと気付いた。
「お前、今日……バイトの日じゃねぇの?」
「ん、今日は休み貰っといた。」
 驚いた。コイツは、学校ではふざけているけれど仕事に手を抜いたことは無い。いつもなら、火曜と金曜以外は終礼3分後に姿を消している。
 ゾロだけが知っている、サンジの将来の夢はコック。親に言われて進学した高校より、こっそりやっている(校則違反なのだ)バイトに精が出るのも当たり前だった。ゾロは無意識に眉を寄せる。
「何か用事か?」
 思わず口をついた、言うつもりは無かった一瞬の本音。零れ落ちてしまえばもう、取り返しはつかない。
 言ってすぐに後悔した。サンジはプライベートにこだわる男だ。どこかに女の一人や二人、出来たのかもしれないし。
 自分で考えた最悪のシナリオに、胸の奥の奥がしくしくと痛んだ。顔には出ないほどに馴染んだ痛みではあるけれど。
 やっぱり、辛いもんは、辛いのだ。
 ぐるぐると思考の渦に嵌るゾロになど気付きもしないで、サンジはあっさりと言ってのけた。
「いや、だって今日、お前誕生日じゃん。」
 だから、飯でも奢ろうかと思って。
「……え?」
 コイツが、女じゃないこの俺の、誕生日を覚えてる、だって?
 耳がおかしくなったかと思った。まだ寝ぼけているのかと、ちょっとだけ目を擦ったりもした。
 でもやっぱり、目の前にはサンジがいて。わたわたと何やかややっているゾロを不思議そうに見ている。
「あ、もしかして、先約があった?」
 そういって、くるりと巻いた眉を曇らせた。ゾロは嫌がってるわけじゃないのだ、と必死に首を振る。
「ないない!っ、俺んち、今日も親二人とも仕事だし。」
「いや、親じゃなくてさぁ。」
 おんなのこ。
 またゾロは眉を寄せる羽目になる。これがコイツなんだとわかってはいても、喜んだ分腹が立つ。
「だってさ、お前何気に人気あんじゃん?頭いーし、剣道全国区だし、見た目悪くないし。知らねぇの?よくこのクラスの……」
「アホか。」
 とうとうと喋りだしたサンジを遮って、ゾロは一言で切り捨てた。むぅっとガキっぽく頬を膨らませたサンジがかかってくるのより早く、ゾロは珍しく早口で言った。
「お前じゃあるめぇし、んなもんに興味ねぇよ。それより、早く行こうぜ。」
 あんま遅くなると、店なんか閉まっちまう。
 ちょっと郊外にあるここからは、町へ出るのに40分かかるのだ。
「おう!」
 すぐに機嫌を直した目の前の彼は、にっこりと、それこそガキっぽいくらいに純粋な笑みを浮かべて言った。
「世界一美味いメシ、喰わしてやるよ!」





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