昨日と同じカフェのテラス席で、サンジは溜息を吐いた。その足元には、昨日は手を出さなかった鮮度が命の少々傷みやすい野菜や果物、
船長のための大量の肉が置かれている。
やはりというか何と言うか……。ゾロは、ここまで辿り着けていなかった。
わざわざ船を出る前にも確認してきたというのに。「あのカフェで、昼に会おうぜ。」と言った時、あいつは確かにおう、と返事をしていた。
……筈なんだが。
勿論サンジとて、ゾロが自力で辿り着けるとは欠片も思っていない。しかし他の島でも一人で刀鍛冶の店まで行ったりしているのだ、人に
聞く、ということくらいできるのだろう。そう思ったからこそ、こんな無謀なお願いをしてみたのだが。
(アイツにんな期待した俺が馬鹿かねぇ……。)
いかにも退屈、と分かる面持ちで煙草を吹かす。何も頼まないのも悪いと、入ってすぐに注文した珈琲はこれで3杯目だ。
奥にいた昨日のウェイトレスが、心配そうな顔をしてこちらへやってきた。
「やっぱり、迷われたんじゃないですか? うち、こんな分かりにくいところにあるし……。」
しかしサンジはすぐさまにこりと笑ってそれを止める。
「いや、大丈夫だよ。ヤツはどんだけ回り道しても約束は守る奴だしね。まァ町の人に聞きながら来れば、いくらアイツでもそろそろ辿り着く
んじゃ……。」
「あら。」
彼女は、ちょっと困ったように口元を押さえた。
「このお店、一月ほど前に来たばかりで、こんな立地だし、全然知名度無いんですよ。」
お料理も、シェフが独学で学んだものらしいし。
その言葉に俄かに蒼褪めて、サンジは慌てて立ち上がった。
「荷物、預かっていただいてよろしいですか? レディ。」
こんな時でも無意識に零れる大げさな賛辞で飾り立てた台詞を残して、サンジは相変わらず混み合う雑踏の中へ駆け出した。
ぽつぽつと、乾いた地面に黒い染みが出来る。
ちっ、と舌打ちを口の中で噛み殺して、ゾロは足を速めた。
目指す店の場所は、ついさっき捕まえた小柄な男のお蔭で漸く分かった。
彼に辿り着くまでに、何人に声を掛けたか分からない。
(あ゛ー、なんっでこんなに誰も知らねぇんだよっ!)
そう、確かに彼は人に尋ねる、ということに思い至っていた。(そこに至るこれまた長い経緯があるにはあったが。)
しかし、せっかく覚えておいた店の名を告げても、皆一様に首を傾げるばかりだったのだ。
『知らねーなァ。何か他と間違えてるんじゃないかい?』
『聞いたこと無いけどねぇ。それより、この新鮮なトマト、一個買ってかない、兄ちゃん?』
『え? 私は知らないですけど……。』
――ったく、どいつもこいつも……。
視界に小さなテラスが見えた。ゾロは我知らず口角を上げる。その顔はお使いが成功したときの子供とまるで同じだったが、今周りにそれを
指摘する人間はいない。
雨はだんだんと強さを増して顔を、体を濡らしていたが、幸いなことにこの島の気候は初夏のように暖かい。きっとこの雨も、暫くすればすぐに
止んでしまうのだろう。
ゾロはガチャ、と些か無遠慮にノブを回した。しかしそこに、いつもならその手荒な行為を咎め立てるであろう男の姿は見当たらない。
(あれ……?)
店は合ってるよな? と一度看板を確認したところで、奥から昨日見たウェイトレスが出てきた。
「あっ……、もしかして……。」
目を丸めて呆然としている。そのまま固まってしまった彼女にゾロは声を掛けた。
「おい、ここに昨日来た金髪のヘビースモーカー来なかったか?」
すると彼女は泣き出しそうな顔になって、
「それが……。」
と話し始めた。
蹴り上げた泥水がスーツの裾を濡らす。ちっと盛大に舌打ちして、サンジは通りがかった公園の時計を見上げて驚く。
(もう、3時じゃねぇか。)
これではランチどころではない。ゾロは、今どこにいるのだろうか。
ぐっしょりと水気を含んだ前髪を左手で梳く。スーツの上着も鬱陶しいが、脱いだところで荷物になるだけだ。
ふと思い立って、件のカフェに戻ることにした。万に一つ、ゾロが辿り着いているかもしれない。
パシャパシャと響くのは、ほぼ自分の足音だけだ。この雨で、昼の喧騒が幻だったのかと目を疑うほど通りはひっそりとしている。
周囲を見回して、サンジは肩を落とした。
これでは、あの目立ちすぎる緑髪を見た人も見つかりそうに無い。
買い物を済ませてあるのだけが救いだと気を取り直して、サンジは細い路地への角を曲がった。
カランカラン、と控えめなドアベルががらんとした店内に響く。すぐ飛び出してきた少女に向かって、サンジはどうにか笑顔になって声を掛ける。
「俺の連れ、辿り着いてる?」
すると彼女はしいっ、と人差し指を立てると、サンジを奥のテラスへと導く。
その所作に大体の予想がついて、サンジは苦笑してしまった。
ガラス戸を隔てたその先には、予想通りぐーすかと眠る大剣豪。
「……あなたを待って、お昼召し上がってないんですよ。」
囁かれた言葉にも、今度は無理をしていない笑みを返して。
サンジは、やっと見つけた広い背中に手を伸ばした。
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